【やなせたかし(94歳)】 アンパンマン25作目「それいけ!アンパンマン とばせ!希望のハンカチ」 2013年7月6日(土)。 [アニメ]
「 それいけ!アンパンマン とばせ!希望のハンカチ 」
( 矢野博之監督 )
今日、7月6日(土)公開でーーーーす!!
( 矢野博之監督 )
今日、7月6日(土)公開でーーーーす!!
シリーズ25作目となる「アンパンマン」ですが、原作者の やなせたかし さんが、
6月16日(日)に体調不良を押して完成披露試写会に姿を現してくれてましたねー。
他に 本仮屋ユイカ さん、岡崎裕美 さんも出席していました^^。
やなせたかしさんはすでに94歳!。 (すごい高齢だ!)
「すごい元気ですね~~」と思ったら、この日は体調が悪く、試写会を見送る寸前だったとのこと!。
なんでも、この日の朝になって雨が降り、湿度が上がったことの影響で体調を崩したんだそーです!。
せっかく、今回の作品が日本テレビ系のテレビシリーズと映画25年記念ということもあり、舞台あいさつに向けて2週間前から休養を多めにとるなど体調管理に努めてただけに、どーしても出席したかったんでしょう。
そんな やなせたかし先生を、客席の子供達から「 先生コール 」のエールが送られました!!。
それを受けて先生は、恒例の自作の歌を熱唱しました!。
これまで、「 アンパンマン 」シリーズの完成披露試写会と公開初日舞台あいさつでは、
自作の歌で自己紹介するのが恒例となっていました。
例年では、2分半程度だがこの日は4分11秒も歌ってくれました^^。
本当は歌の中止が決まりかけたそうなんですが、同局の藤井恒久アナウンサーに促されると、力強く歌ってくれました ♪ 。
私は、やなせ~~たかしです~~~♪。
(中略) 世界の漫画家の中で一番老人で~~す♫。
他の漫画家はみんな可愛らしい~~~♪。
(中略) 世界の漫画家の中で一番老人で~~す♫。
他の漫画家はみんな可愛らしい~~~♪。
歌唱後に「 もうすぐ死ぬんだよ、俺は。身体中、悪いとこだらけ。情けねぇ。 」と漏らしてましたが、同アニメのテーマ曲「 希望のハンカチ 」のサビも歌ってくれました ♪ 。
ゲスト声優の女優、本仮屋ユイカ(25)さんには、「 長い名前だな。仮屋だけでいいんじゃね。 」と突っ込む場面もありました^^。(笑い)
そんな やなせたかし先生ですが、7月4日(木)に放送された日テレの夕方のニュース
「 news every. 」でこの日の密着をされていました。
その中で気になる発言を連発されていたのでお伝えしたいと思います。
試写会を終え、控え室に戻った やなせ先生は多くのスタッフさん達の前で、こーいったことを語り始めました。 (とても、か細くに・・・)
「 毎日少しずつ弱まってる。 もうダメだな。 本当に25年間ありがとうございました。 」
「 来年、生きてたらお目にかかりましょう。 ちょっと危ないかもねー。 」
94歳と高齢で、体調不良もあり、だいぶ気が弱まっているんでしょうか・・・?。
他にも、こんなネガティブな発言をされていました。
「 まもなく死ぬんで、もう2年生かしてほしい・・・。 」
「 死んだ後も、アンパンマンは生きているのでこれからもよろしく頼む・・・。 」
「 この後は、外国へ進出したいな~~・・・。 」
※ 今年2月に韓国で「アンパンマン」が初上映されました。
これからも、香港、インド、タイ、台湾で「アンパンマン」のテレビアニメが公開されるそーです。
「今おもしろいのに、・・・・・・目がみえない。」
「 来年たぶん死ぬ。 」 「 毎朝、体調が悪い。 」
「 まだ死にたくねーー!、おもしろい所にきたのに何で死ななきゃならねーんだ!!。 」
「 この世の中は困難に満ちている!、俺は困難でもやるしかない!!。 」
「 一生懸命やる!!。 」
「 倒れて単に寝てるよりいい!!。 」
なんか、このネガティブ発言を聞いてこっちもブルーになってきましたよ・・・。
こんなこと言わずに、やなせ先生にはまだまだ元気でいてほしいですね~~。
でもまあ、最後には力強くポジティブに「 困難でも、一生懸命やる!!。 」と宣言してくれたのは救いでした。
1988年、「アンパンマン」のアニメ放送開始以来、やなせたかし先生は心筋梗塞や
腸閉塞といった大病を患いましたが、その都度不死身のように元気に復活されてきました。
なので、先生も弱気にならずに「 アンパンマン 」のいつものセリフのように、
「 元気いっぱい、アンパンマン!! 」
と元気に笑顔で語ってくださいね!。
これからも、
日本をもっともっと明るく元気にしてください!!。
アンパンマンの25作目、
「それいけ!アンパンマン とばせ!希望のハンカチ」は
今日 2013年7月6日(土) 公開です!!。
「それいけ!アンパンマン とばせ!希望のハンカチ」は
今日 2013年7月6日(土) 公開です!!。
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関連公式サイト
アンパンマンショップ やなせたかしの世界
「 それいけ!アンパンマン とばせ!希望のハンカチ 」
やなせたかし
やなせ たかし(本名:柳瀬 嵩(読み同じ)、1919年(大正8年)2月6日 - )は、日本の漫画家・絵本作家・イラストレーター・歌手・詩人。血液型はAB型。日本漫画家協会理事長(2000年5月 - 2012年6月)、日本漫画家協会会長(2012年6月 - )、有限会社やなせスタジオ社長。東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区)生まれ、高知県香美郡在所村(現・香美市)出身。『アンパンマン』の生みの親として知られる。1941年(昭和16年)に徴兵されて、野戦重砲兵として日中戦争に出征する。復員後に弟の戦死を知ったことなどから反戦感情を持つこととなる。終戦後はクズ拾いを経て高知新聞記者になり、後に夫人となる小松暢と出会う。1947年(昭和22年)に小松を追う形で上京して、三越宣伝部のグラフィックデザイナーになり、三越在社中に漫画集団に所属、副業で漫画家をしていた。三越では、包装紙「華ひらく」(図案は猪熊弦一郎)に書かれた「mitsukoshi」のレタリングを手掛ける。1953年(昭和28年)3月に三越を辞めて、34歳で専業漫画家となった。漫画で得る収入が三越の給料を三倍ほど上回ったことで独立を決意したという。独立はしたものの漫画家としてはなかなか芽が出ず、漫画やイラストの仕事よりも舞台装置の製作や放送作家、作詞家としての仕事の方が多かった。作曲家としてはミシェル・カマという筆名を使う。編集者としては、サンリオから刊行されていた雑誌『詩とメルヘン』の編集長を長年務めた(1973年 - 2003年)。現在は季刊雑誌『詩とファンタジー』に責任編集という形で関わっている。手塚治虫とは1960年代から手塚の晩年に至るまで親交があり、やなせは手塚が虫プロダクションで制作した劇場アニメ『千夜一夜物語』(1969年)に美術監督として参加し、キャラクターデザインも手がけた。手塚はそのお礼として、やなせの原案によるアニメ映画『やさしいライオン』を制作している(大藤信郎賞を受賞)。やなせは手塚治虫より9歳年長である。上記のように多彩な仕事を手がけているが、『アンパンマン』の人気が上がって売れっ子になった時はすでに50代後半になっており、漫画家としては大変に遅咲きであった。1993年(平成5年)に暢夫人が逝去して、現在は独身である。暢夫人との間に子供は無く、アンパンマンを2人の子供であるとしている。独り身に戻ってからは、誕生日などのイベントに「架空結婚式」(相手は里中満智子など)も行ったりしている。2003年(平成15年)にはCDを発売して歌手デビューを果たして、コンサートも年に数回行っている。2011年(平成23年)頃より眼の調子が思わしくなくなる。2012年(平成24年)6月22日の日本漫画家協会賞の贈賞式では元気な様子を見せたが、高齢と体調不良を理由に日本漫画家協会の理事長を辞任すると発表し、日本漫画家協会の会長に就任。年齢が90歳を超えて、2010年(平成22年)には引退も考えるが、翌年3月に東日本大震災が起こったことから思いとどまり、未だ現役で活動を続けている。代表作は『アンパンマン』『やさしいライオン』など。主に児童漫画を手掛ける。作詞家としては、いずみたく作曲のポピュラー・ソング『手のひらを太陽に』の仕事が有名。勲四等瑞宝章、日本漫画家協会文部大臣賞、東京国際アニメフェア2008 第4回功労賞、等を受賞している。
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